京都ぎらい

井上章一 著 京都ぎらい

 

 面白いです。

 筆者は、右京区、嵯峨、清凉寺釈迦堂の西側で育った。そして京大卒である。その筆者が、洛中の人達からは京都育ちと見て貰えない。洛中の人からから見れば嵯峨育ちは田舎者である。杉本家の九代目当主からは『嵯峨の子か、田舎の子なんやなと』と揶揄的なふくみで、いけずを言われた。西陣で育った人(梅棹忠夫氏)も中京の新町御池で育った男から見れば、京都を代表する人ではないのである。山科も、東山が西山になってしまうので京都ではない。宇治も同様である。

 洛中の京都人が、洛外者をあなどり、しばしばいけずな物言いをなげつける。

 その筆者も、亀岡や、城陽を見下す。京都的な差別意識を植え付けられてしまう。そして自分の中にひそむ優越感を嫌い、自己嫌悪を感じている。

 一方、大阪人は京都をそれほどありがたがらない。大阪市の北、京都の南西に高槻という都市がある。大阪府下である。その高槻にすむ人々を、大阪人はひやかす。大阪では京都に近いことが、からかいの的になる。

 

 上記が本書の基調である。これ以外に、坊さんと舞子さん、祇園先斗町も坊主でもっている? 芸子が芸者か、「古都税」、拝観料はお布施か、寺の庭園、蛤御門の変から討幕戦争、等が論じられている。

 

 以下が大変面白いです。

 七五三(ひちごさん)、七条(ひちじょう)、七本松(ひちほんまつ)、上七軒(かみひちけん)、

 私も、七を(しち)とは読みづらいです。これを書いている「あかんたれ」のIMEは(しち)でないと受け付けないですが。

 

 

 

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