神無き月十番の夜

飯嶋和一 著 神無き月十番の夜

 

 序章が最も面白い。次に第一章が続く。後は段々と読みづらくなります。それは、序章で結果が判っているために、読むのがつらくなる為です。結末は悲劇です。私としては、序章を一番後にして欲しい。

 

 小生瀬の石橋藤九郎は、この年十六歳。月居大膳亮率いる月居騎馬衆七十名のうちで最も若く、この戦が初陣であった。藤九郎は幼少の頃から体が弱く、臆病で非力であった。騎馬衆の家に生を受けた限り、足軽衆を率いて合戦に臨まなくてはならない。「御騎馬衆よ、月居軍の華よ」と立ててくれるのは、いざ戦での働きを頼んでのことだった。

 頬当を着け、兜緒を結んでも、藤九郎の震えは止まらなかった。別当の市蔵は父の代から石橋家の御馬の世話をし、父が死んだ会津遠征にも付き従った者だが、青ざめている藤九郎にかける言葉もなかった。

 戦闘が始まってまもなく、鉄砲、弓足軽のなかで、手傷を負った者が次々と運びこまれてきた。この中に、やはりこの日が初陣であった小生瀬の彦七の姿があった。藤九郎より一つ年下で、幼いころから共に遊び育った仲だった。藤九郎は何度も呼びかけたが、意識は朦朧とし、力のない目で天空を仰いだまま一つ深く息を吐くと、何も言い残さず息を引き取った。

 藤九郎の顔は色を失ったが、その時までのうつろな、定まらなかった眼差しが強い力を帯びたのを、別当の市蔵は認めた。鼻先と目の縁に血色が蘇った。膝の震えが止まった。

 

 藤九郎は、およそ十六歳の初陣とは思えぬ無駄のない手綱さばきで三騎もの音に聞こえた白石騎馬をほふり、遠乗りから戻ったように平然としている様をみて、手柄などいらないから無事に戻ることだけを祈念していた別当の市蔵は、言葉を飲み込んでだだ見つめていた。

 戦は負け戦となつたが、月居軍の八幡崎での戦いそのものは紛れもなく勝ち戦であった。兜首を一つでも挙げることができれば大手柄であるところを、藤九郎は三騎のほふり、生瀬四か村はもとより保内一帯の子どもに至るまでその名を知られるようになった。

 

 

 

 

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