「日本の朝鮮統治を検証する」1910-1945

 ジョージ・アキタ 著 「日本の朝鮮統治を検証する」1910-1945

 

 著者は歴史考証によって裏書きされた史実のみに基づいて論を展開する。すなわち伝統にのっとった節度ある研究姿勢を半世紀にわたり守っている。

 2013年1月2日のニューヨーク・タイムスの社説は、1910年から1945年までの日本の軍事行動を厳しく非難しているが、これはきわめて危険なことであり、報道姿勢に内在する欺瞞的傾向に対して、学者による本格的な反駁のが必要となる。(と記している)

 

 朝鮮に於ける反日感情の根源は、民族の誇りを傷つけられたことにある。朝鮮人は、高度な文明社会だった祖国が、野蛮人とみなされていた日本人によって侵略されことで侮辱され、面子をつぶされたと感じている。朝鮮民族は、偉大な民族が儒教や、仏教の手ほどきをしてやった民族に侵略されたという事実をどうしても受け入れることができないから、いつまでも日本人を憎むのである。

 

 (結論として)

 列強の植民政策との対比において、日本の朝鮮統治は現実主義と相互主義に裏打ちされた、より穏健で、バランスの取れた政策の下に実施され、戦後韓国のあの脅威的な発展の基礎の礎になったとの結論を下すに至った。

 

 1905年当時の長谷川朝鮮駐剳軍司令官は以下の朝鮮観を記していた。

 知識レベルの低さ、国家観の不在、そしてさらには強者への盲目的崇拝という点においてはほとんど野蛮人に近い朝鮮大衆に対処するにあたり、力に依存しない手段を用いることは効果的でないと考える。

 1900年代の国際社会の朝鮮観は、欧米の政治家も旅行者も、公衆衛生の問題点、未開発の産業、汚職の横行、官界にはびこるえこひいき等を理由に、ひとしく朝鮮を軽蔑していた。

 親朝鮮派のソウル駐在アメリカ公使ホレース・アレンは、

 先進的なな人種が、これら土着のアジア系人種の統括を肩代わりし、圧政的な官吏を抑圧し、秩序の維持と商業の発展に尽くすことに私は反対ではない。

 

 ヒルディ・カン女史がサンフランシスコ在住の朝鮮生まれの年配の人々へのインタビューで、日本統治の朝鮮の実態を聞き取り著作としている。

 朝鮮人と日本人の間には人間的な触れ合いがあったこと、日本人が朝鮮に新たにインフラストラクチャーを構築したことを指摘している。

 

  従軍慰安婦問題につての記述(P251)もある。

 

 訳者(塩谷 絋)あとがき

 国際社会には、朝鮮統治を含め、日本とアジア諸国との過去の関係のもろもろの局面に対する誤解が少なくありません。しかし日本はこれまで、この誤解を解くための自己主張を積極的にしてきませんでした。これからの日本人は、祖国の来し方について正しく知り、その知識をもとに国際社会に向かって堂々と情報発信をしてゆかなければならないと思います。

 英語版が発刊された暁には、心ある日本人読者にはぜひ一冊手元に置き、アメリカのトップブレーンが駆使する明快で理論整然とした英語表現の数々を暗唱できるまでじっくりと読み込んでいただきたいと思います。そうすれば日本の統治が朝鮮の近代化に貢献したという事実について、説得力あるロジックと英語で語る力は必ず身に付きます。激変する国際社会で日本人が自ら過去や未来に関して沈黙を守る果てに待つのは、再起不能にまで衰亡した日本の姿だと思うのです。