奥山景布子 著 葵の残葉
明治十一年九月三日 に、長兄の慶勝から写真を撮るから集まるようにというう案内があり、四兄弟が集まった。
一橋徳川家十代当主、徳川茂栄。
尾張徳川家の分家である美濃高須の松平家から、それぞれ、諸家に養子に入り、跡取りとなった兄弟四名である。
江戸で、京都で、大坂で、尾張で、会津。江戸幕府が倒れ、新政府が立ち上がる、いくつかの局面において、この中の二人、あるいは三人が同じ場所にいたことは幾度もある。
徳川御三家である尾張徳川の当主でありながら、いちはやく幕府を見限り、新政府側にたった慶勝と最後まであくまで幕府の一員として振る舞い、戊辰戦争の渦の中にいた容保、定敬とは、いわば、敵味方にわかれていたわけだが、双方ともに、大きな犠牲を払うことに。間で複雑な立場に立たされた茂栄も、その点は変わらない。
安政五年(1858年)から、この日まで、兄弟の生涯の物語である。
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